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第3章 メリッサ

そう決めた途端、周明瑞の心にはにわかに信念が芽生え、恐れや迷い、不安といった感情は、どこかに消え去っていった。

そしてようやく、クラインの記憶の断片について考えようという気になった。

周明瑞は慣れたように立ち上がり、ガスの元栓を切った。壁のランプがゆっくり消えていくのをながめてまた椅子に座り、無意識にピストルのシリンダーをさすりながら側頭部を押さえ、緋色を帯びた暗闇の中で、静かに「余韻」に浸っていた。その様子はまるで、映画館で一番最後まで座席に残っている観客のようだった。

頭を銃弾が貫通した影響だろうか、クラインの記憶は砕け散ったガラスのようで、連続性もなければ、抜けているところも多かった。例えば、この精巧に作られた回転式拳銃はどこから来たのか、自殺か他殺か、ノートに書かれていた「どんな人間もいつかは死ぬ。私も例外ではない」とは一体どういう意味なのか、事件が起こる前に何か変わった出来事はなかったのか。わからないことだらけだ。

記憶の断片だけでなく、周明瑞が把握している情報も同じようにところどころが抜けた不完全なものだ。いま目にしている状況からすると、クラインは大学に戻っても、おそらく卒業はできないだろうと感じた。たとえ実際には、大学を離れていたのがほんの数日で、彼自身にやる気があったのだとしても。

「2日後は、ティンゲン大学史学科の面接試験……」

「ルーン王国の大学では伝統的に、卒業生は出身校に留まらない……指導教官はティンゲン大学とベークランド大学の推薦書を書いてくれた……」

……

周明瑞が静かにクラインの記憶を「鑑賞」している間、窓の外の緋色の月は西に傾き、東の空には微かに光が射し、地平線を金色に染め始めていた。

その時、奥の部屋から物音がしたかと思うと、ドアの向こうから足音が近づいてきた。

「メリッサが起きたか……いつもながら時間に正確だな。」周明瑞は笑みを浮かべた。クラインの記憶の影響か、メリッサに対し、本当の妹のような感覚を抱いていた。

実際は、俺に妹はいないけどな……即座にツッコミを入れるのも忘れなかった。

メリッサはベンソンやクラインとは異なり、黒夜女神教会の日曜学校で初等教育を受けていないのだ。メリッサが就学年齢に達したとき、ルーン王国では「初等教育法」が公布され、初・中等教育委員会が発足すると同時に、特別予算が計上され、初等教育へのてこ入れが図られた。

それから3年も経たないうちに、教会学校を多数吸収合併する形で、数多くの公立プライマリースクールがつくられた。宗教的中立性を保つという大原則の下で運営されていたことから、嵐の主、黒夜女神、蒸気と機械の神教会の間の紛争にはノータッチだった。

1週間に銅ペンス1個で済んだ日曜学校に対し、公立プライマリースクールの週に3ペンスという学費は非常に高額に感じられた。しかし、前者は週に日曜日のみ1日だけ学ぶのに対し、後者は週に6日も通える。総合的に考えれば、ほぼ無料に近い安さだった。

メリッサは普通の女の子とは違い、幼い頃から歯車やバネ、ベアリングといったものを好んだ。将来の夢は蒸気機関士になることだった。

学がないため苦労をし、教育の大切さを身にしみて感じていた長男のベンソンは、クラインの大学受験を支えたのと同じように、妹の夢も叶えてやろうとした。何より、ティンゲン技術学校は中等教育相当だったため、グラマースクールやパブリックスクールで勉強していなくても入ることができた。

去年の7月、15歳になったメリッサは入学試験に合格し、望みどおりティンゲン技術学校蒸気・機械科の一員になることができた。学費は週に9ペンスに跳ね上がった。

だがこの時、ベンソンの勤める貿易会社は、南大陸情勢の影響を受け、利益も業務量も大幅に減っていた。会社はやむなく従業員の3分の1以上を解雇に踏み切り、ベンソンは仕事と生活を維持するため、これまで以上の激務を受け入れるしかなくなった。残業は日常茶飯事になり、環境の劣悪な地方に出張させられることも少なくなかった。ここ数日も出張中だ。

クラインは兄の負担を減らしたいと考えたことがないわけではなかった。だが、庶民階級に属し、普通のグラマースクールを出たクラインは、大学に入った途端、自身の能力不足を痛感するようになった。例えば、北大陸の国々の祖語である古フサルクは、貴族や金持ちの子弟なら、幼い頃からたしなんでいて当然だったが、彼は大学で初めて目にした。

こうした例は枚挙にいとまがない。クラインは生活の全てを捧げ、朝早くから夜遅くまで勉強に励み、ようやく人並みの成績で大学を卒業することができた。

兄と妹に関するクラインの記憶が突如脳裏をめぐったせいで、周明瑞は、ノブが回り、奥の部屋のドアがギギっと音を立てて開いたところでようやく我に返った。俺は手に回転式拳銃を持っているじゃないか!

一般人は所持禁止の代物だ。

子どもを驚かせてしまう。

なにより、俺のこの傷はどうする。

早くしないとメリッサが出てきてしまう!周明瑞はこめかみを押さえ、大慌てでテーブルの引き出しを開け、拳銃をサッとすべり込ませた。ガンッとぶつかる音が鳴った。

「どうしたの?」音を聞きつけたメリッサが、不思議そうに顔をのぞかせた。

青春真っ只中のメリッサは、ろくなものを食べられない暮らしのせいで頬がこけ、顔色がやや青白かったものの、肌はつやつやで、全身から少女の息吹を放っていた。

妹の褐色の瞳にじっと見つめられた周明瑞は、つとめて冷静さを装い、引き出しの中で手に触れた何かを適当に取り出すと、拳銃に気づかれないようゆっくりと閉めた。もう片方の手が触れているこめかみの感触からすると、傷口はもうふさがったようだった。

クラインが引き出しの中から取り出したのは、銀色の藤のつると花の模様が入った懐中時計だった。リューズ部分を軽く押すと、表の蓋が開く仕組みになっていた。

それは、王室の陸軍曹長だった3兄妹の父親の遺品の中で、最も高価なものだった。しかし、年季の入った品物であるため、ここ数年は時々故障するようになり、時計修理工に依頼しても、直らなかった。これを身に着けることで多少の見栄を張っていたベンソンは、度重なる故障で恥をかかされ、ついには手に取らなくなってしまった。

メリッサは本当にメカの天才なのだろう。理論を学び知識を身に着けると、技術学校の工具を借りて時計をあれこれいじるようになり、先日、修理が完成したと誇らしげだった。

周明瑞は懐中時計の蓋を開け、秒針が止まったままなのに気づくと、無意識にリューズを巻き、懐中時計のねじを巻いた。

だが、何周か巻いてもねじが巻き上がる音が聞こえず、秒針は微動だにしなかった。

「また壊れたみたいだ。」周明瑞は何とか話題を見つけて言った。

メリッサは表情を変えずに一瞥すると、つかつかと近づいてきて、時計を取り上げた。

その場に立ったまま、リューズを上に引っぱり、何度かクルクル回すと、チッチッチッと秒針が動きだした。

え、それって時刻合わせの動作じゃ……周明瑞はあっけにとられた。

その時、遠くから大聖堂の鐘の音がゴーンゴーンと6回聞こえてきた。悠久の時を超え、自由に空中を舞うような音だった。

メリッサはその音を聞き終えると、懐中時計のリューズをさらに一段引っ張り、クルクル回して時間を合わせた。

「できたわ。」抑揚のない声で短くそう言うと、再びリューズを押し戻し、懐中時計を周明瑞に返した。

周明瑞はきまり悪い思いをさとられないように、にっこり微笑み返した。

メリッサはまたじっと兄を見つめると、回れ右をしてキャビネットのところへ行き、歯ブラシやタオルを取り出して、共同洗面所に向かった。

「さっきのあの表情、あきれたような、諦めてるような感じだったな。」

「アホな兄貴を憐れむ目つきか?」

周明瑞は首を横に振って乾いた声で笑うと、懐中時計の蓋をパタンと閉じ、またパカッと開いた。

それを何度も繰り返し、あれこれ思い巡らせているうちに、ある疑問が芽生えた。

消音装置もついていない拳銃でクラインが自殺、うん、まあとりあえず自殺としておこう……自殺なんてしたら、壁のすぐ向こうで寝ているメリッサが何も気づかないなんてことあるんだろうか。

熟睡していたのか? それともクラインの自殺自体が怪しいのか?

パカッ、パタン、パカッ、パタン……顔を洗って戻ってきたメリッサが目にしたのは、兄がぼうっとした様子で懐中時計の蓋を開けたり閉めたりする様子だった。

メリッサは再びあきれたような眼差しを向けながらも、優しい声でこう言った。

「クライン、残っているパンを出してちょうだい。今日新しいのを買ってきて。それからラム肉とエンドウ豆も。もうすぐ面接試験だから、ラム肉とエンドウ豆の煮込みを作ってあげる。」

そう言いながら、メリッサは部屋の隅からコンロを引っ張り出してきて、炭に火を入れると、やかんに湯を沸かした。

お湯が沸く前に、キャビネットの一番下の引き出しから、安物のブロークン茶葉の入った缶を大事そうに取り出し、十かけらほどやかんに入れると、あたかも本当のお茶であるかのように差し出した。

メリッサと周明瑞は、一人あたりカップ2杯分の茶を飲みながら、2本のライ麦パンを分け合った。

木屑が混じっているわけではない、グルテンが多すぎるわけでもない、それでもやはり美味しくない……いまの周明瑞は体が弱り、腹が減っている。心の中ではぶつくさ文句を言いながら、なんとか茶でパンを流し込んだ。

数分後にメリッサも食べ終えると、背中まで垂れた黒髪を束ね、周明瑞の方を向いて言った。

「新しいパンを買うのを忘れないで。8ポンドだけよ。暑いから、買いすぎると腐っちゃう。それからラム肉とエンドウ豆も忘れないで。」

やっぱり生活力ゼロの兄貴が心配なんだな。噛んで含めるような言い回しだ……周明瑞は微笑みながらうなずいた。

「わかった。」

ルーン王国の1ポンドは、クラインの身体感覚の記憶を自身のそれと比べてみたところ、周明瑞の知る1斤、つまり0.5キログラムほどだと思われた。

メリッサは立ち上がり、食器を片付けると、残った1本のライ麦パンを弁当に包んだ。そして、母親の遺品であるボロボロになった薄絹の帽子を被り、自分で縫ったカバンを持って、出かける準備を整えた。

今日は日曜日じゃないから、メリッサは丸一日学校だな。

マンションからティンゲン技術学校までは歩いて約50分。1キロメートルあたり1ペンスの乗合馬車があり、市内の場合は4ペンス、郊外の場合は6ペンス払えばどこまでも行ける。メリッサは節約のため、いつも早めに家を出て、徒歩で通学していた。

ドアを開けたところで、メリッサは足を止め、半身をこちらに向けて言った。

「クライン、ラム肉とエンドウ豆は買いすぎないで。ベンソンは日曜日にならないと帰ってこないだろうから。いい? パンは8ポンドだけよ。」

「わ、わかったよ。」周明瑞は力なく答えた。

周明瑞はこの時、心の中で「日曜日」という単語を繰り返しつぶやいていた。

北大陸では、周明瑞の住む世界と同様、1年を12ヶ月に分けていて、1年は365日または366日ある。1週間は同じく7日だ。

ただ、前者、つまり1年の長さは天文学の成果だ。周明瑞が疑問を抱いたのは、ここはパラレルワールドで、後者、つまり1週間の7日は宗教由来なのではないかということだった。なぜなら北大陸には、永遠の烈日、嵐の主、知識と知恵の神、黒夜女神、大地母神、戦いの神、蒸気と機械の神という7人の正統な神がいるからだ。

学校へ行く妹を見送ると、周明瑞はふうっとため息をつき、すぐに開運の儀式のことを考え始めた。

悪い、俺はマジで家に帰りたいんだ……