翌日、北原秀次は普通に学校に通った。昨日の殴り合いの件で学校から話をしようとされるだろうと思っていたが、学校の反応が遅いのか、ケースを担当する女性警察官が親切で学校に通知しなかったのか、全く何も起こらず一日が終わった。それどころか、怒って騒ぎを起こしに来るはずの小ロブヘッドすら見かけない、とても奇妙だった。
彼はまた一日中頭を下げて学び、学校が終わった3時過ぎには、約束通り純味屋に行き、福沢直隆の助けに感謝しようと計画していた。陽子のほうは心配しなくてもいい。朝から心配で、彼女にもう一度言っておいた。何かあったら何も考えず、まず未成年者用の警報器を押して警察を呼び、その後に自分に電話をかけるように。その後の事は彼が処理し、迷惑をかけることを恐れないでほしいと。
また彼は、万が一家に帰れなくなったときのために、陽子にアパートのスペアキーも渡した。これで完全に安心できるだろう。実は、福沢直隆の性格を考えれば、「これで事は終わりました」と電話してくるのは、ほぼ問題ないと思っていた。しかし万が一何か奇妙なことが起こり、一生後悔することになるのを避けるために、彼は珍しく神経質になっていた。
昼食時に北原秀次は式島律に相談し、年配で体の具合が悪い人にプレゼントを贈るのに適したお店はどこかを尋ねた。式島律が一つのお店を紹介してくれたので、彼はそれに寄り道してプレゼントを買ってから純味屋に向かった。そのお店は予想外に有名で、並んでいる人々が多く、時間がかかってしまった。しかし、プレゼントは素晴らしかった。美しい木製の弁当箱に入っていて、見た目もとても体裁がいい。
プレゼントは和菓子の一種で、ヨウカンと呼ばれている。その起源は北原秀次にもはっきりとは言えないが、お店の中に掲示されていた解説図を見ると、中国北部で羊肉で作られたスープから生まれたものらしい。もともとこのスープは冷凍して固めてからお食事に添えるためのものだったが、僧侶の手によって日本に伝えられ、豆粉、栗粉、小麦粉で作られるようになった。また僧侶は茶を飲むことが好きだったので、この和菓子は現在、日本の茶道で最も有名なお菓子の一つとなっている。
Dukung penulis dan penerjemah favorit Anda di webnovel.com