鋭いなあ……クラインは笑いながら、前世の豊富な「経験」と合わせて、またブラック・ジョークを言った。
「実際、あの大物たちに脳ミソがあるなんて証拠は何もないしね。」
「いいぞ!最高!」ベンソンはゲラゲラと笑い、親指を立て、「クラインは面白いやつになったなあ。」と言った。
そして一息ついて、こう続けた。
「俺は午後にはまた波止場へ行かなくちゃ。でも明日は休みだ。だからさ、えーっと、一緒に『ティンゲン市住宅改善会社』へ行って、安くていいテラスハウスが賃貸に出てないか見てみよう。それからまずはフランキーさんに挨拶しなくちゃね。」
「大家さんに?」クラインは不思議に思って問い返した。
もしかして大家さんは、どこかに立地の良いテラスハウスを持っているのだろうか。
ベンソンは弟をチラリと見ると、笑って言った。
「この部屋の契約は1年だってことを忘れたのか?まだ半年しか経っていないぞ。」
「うっ……」クラインは急にひやりとした。
こんなことを忘れてしまっていたなんて!
家賃は週払いだが、賃貸契約期間は1年のため、今、引っ越しすると契約違反になるのだ。もしも裁判所へ訴えられたら、多額の賠償金を支払わなければならない。
「やっぱりまだ社会経験が足りないねえ。」ベンソンは後退した黒い生え際を触りながら、しみじみと言った。「これはあのとき俺が苦労して手に入れた条件だ。じゃないとフランキーさんは3か月ごとの契約しかしてくれなかっただろう。賃借人が金持ちなら、大家さんは安定収入のために、1年とか2年とか、さらには3年とかで貸したがるけど、俺たちや、かつての俺たちとそのご近所さんに対しては、いつ何時アクシデントが起こるかもしれないとか、家賃を払えなくなるとかが心配だから、短期契約を望むんだ。」
「そうすれば、大家さんはタイミングを見つけて値上げ交渉もできるしね。」クラインは以前の主の記憶の欠片と自分自身の賃貸経験を交えて言葉を付け加えた。
ベンソンはため息をついて言った。
「これこそが現代社会の現実と残酷さだ。ま、心配要らないさ。契約の問題は容易に解決できるよ。はっきり言って、1週間分の家賃を滞納すれば、フランキーさんはすぐに俺たちに出ていけと言って、お金になる物を差し押さえるよ。つまりフランキーさんのIQは巻き毛のマントヒヒほどもないから、複雑すぎることを理解できないのさ。」
ベンソンの話を聞いて、クラインはふと、サー・ハンフリーの話を思い出し、真剣に頭を振った。
「違うよ、ベンソン。」
「なぜ?」ベンソンは不思議そうな顔をした。
「フランキーさんのIQは巻き毛のマントヒヒより少し高いと思うよ。」クラインは真面目に答えた。そしてベンソンが同感した表情を見せたとき、クラインはまた言葉を付け加えた。「フランキーさんがまともだったらの話だけどね。」
「あはは。」ベンソンは笑いを抑えきれなかった。
そしてひとしきり笑い、ベンソンはクラインを指さしたが、すぐには返す言葉が見つからなかったので、元の話題に戻るしかなかった。
「もちろん、紳士として俺たちはそのような恥知らずのやり方を選ぶことはないから、明日、フランキーさんのところへ一緒に行って話をしてみよう。任せとけって。フランキーさんはすぐに納得してくれるよ。」
これについて、クラインは全く心配していなかった。ガス配管の存在が何よりの証拠だった。
2人はしばらくの間語り合い、その後、昨夜少し食べ残したグリルした魚を、野菜のごった煮スープの中に入れて煮た。そして煮ている間にその蒸気を使ってライ麦パンをふわふわにした。
クラインとベンソンはパンに少しだけバターを塗り、簡単に食事を済ませただけだったが、何と言ってもバターの香りと甘味が長い間口の中に広がり、2人は十分に満足だった。
ベンソンが出かけると、クラインは3スラー紙幣と、ごちゃ混ぜになっていた銅ペンスを持って、「チシャと肉」市場へ向かった。6ペンスで牛肉を1ポンド、7ペンスで肉質が新鮮で柔らかく、小骨が少ないタソックの魚を買った。このほか、ジャガイモ、エンドウ豆、大根、ルバーブ、チシャ、カブといった食材、それからローズマリー、バジル、クミン、オイルなども買った。
こうしている間、クラインはやはり誰かが自分を観察、注視している気がしたが、やはり実際に接触してくることはなかった。
「スリムパン店」でしばらく休んだあと、クラインは帰宅した。そして積み重ねた本などの重い物を使って、腕力を付けるためのトレーニングを始めた。
クラインは当初、軍隊格闘技のボクシングで身体を鍛えようと思っていたが、もうラジオ体操すら忘れており、軍事訓練でやるようなことは、到底できるはずなどなかったため、トレーニングをできるだけ簡単なものにするしかなかった。
疲れすぎると疲弊して危険が増すため、クラインはそうならないように心掛けた。第四紀関連の知識をもう一度確認しようと、トレーニングを適度に休み、以前の主の教材とノートを広げていた。
…………
夕方、ベンソンとメリッサが、テーブルの上に並べられた料理を眺めながらきちんと座っている様子は、まるで小学校高学年の子供のようだった。
さまざまな味が混ざり合い、濃厚な食のシンフォニーを奏でていた。煮込んだ牛肉が放つ魅惑的な香り、マッシュポテトの鮮明で後を引く刺激、エンドウ豆のスープの甘く絡みつくような舌ざわり、ルバーブの煮込みの繊細で偏りのないハーモニー、ライ麦パンに塗ったバターのさっぱりとした甘味。
ベンソンはよだれをすすり、歯ざわりの良い黄色く輝く魚を、皿の上に盛っているクラインを振り返って見ると、油で揚げた香ばしい香りが鼻の粘膜から喉や食道、そして胃袋へと入り込んだ気がした。
グウ。ベンソンのお腹の中からはっきりとした音が聞こえた。
クラインはシャツの袖をまくり、魚のフライを盛った皿を運んで、片付いたテーブルの中央に置いた。そして体の向きを変え、キャビネットの中から大きなグラスに入ったジンジャービアを2杯取り出し、ベンソンと自分の席に置いた。
それからクラインはメリッサに微笑みかけ、まるで手品をするようにレモン・プリンを1つ取り出した。
「僕らはビールがあるから、メリッサはこれ。」
「……ありがとう。」メリッサはレモン・プリンを受け取り、かすかな声で答えた。
ベンソンはこれを見て、グラスを両手で持ち、微笑みながら口を開いた。
「では、クラインが素敵な仕事を見つけたことを祝って。」
クラインもグラスを手に持ちあげてベンソンと乾杯し、メリッサのレモン・プリンとも乾杯した。
「女神への賛美を!」
グウ。クラインが顔を上に向けてひと口飲むと、辛口の刺激で食道が熱くなり、素晴らしい後味をもたらした。
ジンジャービアには、実際はアルコール成分は少しも含まれておらず、ジンジャー・ジュースの辛味とレモンの酸味が混ざり合って、ビールのような味わいを生んだものだ。女性や子供にも受け入れられている飲み物だったが、メリッサはこの味をあまり気にいっていなかった。
「女神への賛美を!」ベンソンはそう言ってひと口飲み、メリッサはレモン・プリンを少しだけ口に入れ、何度も噛んだあと、ようやく飲み込んだ。
「お試しあれ。」クラインはグラスを置いてフォークとスプーンを持ち、テーブルの上いっぱいに並んだ食べ物を指さしながら言った。
この中で、クラインが最も自信がない料理はエンドウ豆のスープだった。地球でもこの奇妙なものを口にしなかったため、以前の主の記憶の欠片を頼りに「二次創作」するしかなかった。
ベンソンは長兄として少しも遠慮することなく、マッシュポテトを1さじすくって、口の中へ入れた。
くたくたに煮込み、滑らかになるまで潰したジャガイモの味わいが、ラードの軽い味と適度な塩味と共に混ざり合い、ベンソンはよだれが止まらないほど食欲が増した。
「う、う、美味い。」ベンソンはモグモグしながら褒めた。「俺が前回会社で食べたやつよりずっと美味いぞ。その時はバターを使っていたんだけど。」
これは俺の得意料理だからね……クラインは落ち着いてほめ言葉を受け入れた。
「ウェルチ家のシェフのご指導のおかげね。」
メリッサは牛肉のスープを眺めていた。青々としたバジル、青緑色のチシャと白色の大根が透明のスープに浸され、柔らかく煮込んだ牛肉がその中に隠れていた。色は澄み、香りは魅惑的だった。
それからメリッサは牛肉を1切れ、フォークで刺して口の中に放り込み、よく噛みしめた。柔らかさの中に噛み応えが残り、僅かな塩味と大根のほのかな甘み、それとバジルの辛味が互いに刺激し合って牛肉本来の味を引き出していた。
「…………」メリッサは何かを褒めているようだったが、食べ物を口へ運ぶ手が止まらなかった。
クラインも食べ、十分美味しいと感じた。だが不満がないわけではなかった。自分として最高の出来栄えとは言えなかったからだ。足りない調味料があり、別のもので代用するしかなかったので、どうしてもおかしな味になってしまうのだ。
当然ながら、たとえ最高の出来栄えだったとしても、自分の料理は所詮まあまあのレベルにしかならないのだが。
クラインは急に、世間をよく知らないベンソンとメリッサを気の毒に思った。
口に入れた牛肉を飲み込み、クラインはクミンとローズマリーをまぶしたタソックの魚のフライを1切れ取った。外はカリっとして、中は柔らかく、焦げ目も絶品で、塩味と油が調和していた。
クラインは小さく頷き、今度はルバーブの煮込みを食べた。こってりした肉の味を中和できる、まあまあの出来だった。
最後にクラインは勇気を出してエンドウ豆のスープをひと匙すくった。
甘過ぎるし、酸っぱ過ぎるなあ……クラインは思わず眉間に皺を寄せた。
しかしベンソンとメリッサが満足している様子を見て、自分の味覚に疑問を持ち始めたものの、我慢できずにジンジャービアで口をすすぎ、舌をきれいにした。
兄妹3人のお腹は、はち切れんばかりにいっぱいになり、ずいぶんと長い間、椅子から立ち上がることができなかった。
「さあ、もう一度女神を賛美しよう!」ベンソンは残りひと口になったジンジャービアを手に取り、満足気に言った。
「女神への賛美を!」クラインは残っていた飲み物を一気に飲み干した。
「女神への賛美を!」メリッサは最後までずっと残しておいたほんの少しのレモン・プリンを食べ、何度も味わった。
その様子を見てクラインは、ほろ酔い気分になったついでに笑って言った。
「メリッサ、その食べ方は良くないよ。いちばん好きなものや食べたいものは、最初に食べるんだ。そうすれば、その食べ物の最も美味しいところが分かるんだ。満腹になってからじゃ食欲も落ちているし、味わったところで、十分にはそれを理解できないよ。」
「そんなことないわ。最初でも最後でも同じように美味しいわよ。」メリッサは頑として屈せずに答えた。
3人は楽しく語らいながら食休みをし、そのあと一緒にお皿とカトラリーを片付けて、揚げ物に使った油を容器に流し込んだ。
忙しく過ごしたあと、3人はそれぞれ授業の復習をしたり、会計知識を独習したり、引き続き教材とノートに目を通したりして、心行くまで充実した時間を過ごした。
23時になると、クラインたち3兄妹はガスランプを消し、それぞれ顔を洗って眠りについた。
…………
目の前は薄暗く、気分はぼんやりとしていた。クラインの視界には突然、黒いひざ丈のトレンチコートを着て、低めシルクハットを被ったダン・スミスが現れた。
「リーダー!」クラインは一瞬にして目が覚め、自分が夢の中にいたことを明確に認識した。
ダンの灰色の瞳に揺らぎはなく、まるで小さな出来事かのように言った。
「誰かが君の部屋に潜入した。回転式拳銃を持って、その人物を廊下へ連れ出し、そのあと我々に引き渡しなさい。」
誰かが俺の部屋へ潜入したって?監視していた者がついに動き出したか。クラインは驚き、敢えてそれ以上は何も聞かず、ただ首を縦に振った。
「わかりました!」
クラインの目の前の風景が即座に変わり、色彩が泡のようにつぎつぎと砕けながら、混じり合っていた。
目を開き、クラインが慎重に横を向いて窓辺を見ると、痩せこけた見慣れない後ろ姿がテーブルの前に立ち、無言で何かを探していた。